鈴木弘子(日本人初アメフト・プロ選手/オーナー)さんプロフィール!ベティ[激レア]

テレビ番組「激レアさんを連れてきた。」(毎週月曜日23時20分~24時20分)で

2018年12月3日に    

「身体能力が凄すぎるあまり、もうアスリートを引退したいのに

54歳になってもやめさせてもらえない江戸っ子」という特集があります。

 

身体能力が高すぎて引退できない・・・なんて、

ちょっと羨ましい!

と思い、気になり調べてみました。

この激レアさんは、アメリカンフットボールの選手、鈴木弘子さんのようです。

実は、本当にすごい方の王なので、調べたことを紹介したいと思います。

是非最後まで読んでいただければ幸いです。

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アメリカンフットボール選手、鈴木弘子さんのプロフィールは?

名前は、鈴木 弘子(すずき ひろこ)さん

1964年9月28日生まれ

東京都台東区浅草出身

身長は、173cm

愛称は、Betty(ベティ)

共立女子短期大学卒業

女子アメリカンフットボール、プロ選手でポジションはオフェンシブライン(OL)のセンター(C)

もともとスポーツ選手になりたかったわけではないそうです。

ただ、幼い頃から身体が大きかったため、スポーツに触れる機会は多くありました。

 

高校時代は、校内で全国大会に行っている部活動が「吹奏楽」と

「シンクロナイズドスイミング」しかない、という理由で、

スポーツのシンクロを選択しました。

鈴木さんは、頭角を現し、

シンクロナイズドスイミングでジュニア五輪に出場し、活躍されました。

 

短大卒業後、アルバイトをしていたスポーツジムに就職。

インストラクターとして水泳、トレーニング、栄養の指導をします。

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なぜ、鈴木弘子さんは、アメリカンフットボールを始めたのか?

ジムでのインストラクターの仕事は、虚無感があったそうです。

当時、OLは習い事をするブームもあり、

1995年30歳の頃、鈴木さんも習い事をしたくて、

人づてにアメリカンフットボールのことを知ります。

 

一度も見たことがなく、アメフトとラグビーの違いもわからなかったそうですが、

体験してみると・・・

できないことが悔しく、「やってみよう」と決めたそうです。

実は鈴木さんは、幼い頃から自分で何かを選択したことがなく、

両親の勧めで色々と選択していたため、

人生初、自分で何かをしようと選択した瞬間だったそうです。

 

日本の女子社会人アメフトチーム「レディコング」に入りました。

そこで5年間過ごされます。

2000年に単身渡米し、入団テストを経て、日本女子のプロ選手第1号となります。

「東京 レディコング アメフト」の画像検索結果

2013年、世界選手権のアメリカ代表選手に選出、

2016年、アメリカ・パシフィックウォーリアーズ(現ロサンゼルスウォーリアーズ)

オーナーに就任しました。

現在はオーナー兼現役プロ選手として、経営とプレーの両側面からチームを支えています。

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アメリカでプロ選手を目指したきっかけ、エピソードは?

アメフトを始めて1年目に選手、2年目でポジションリーダー、

3年目でキャプテン、4年目でチームオーナーになり、5年目。

 

当時、日本には女子アメフトのプロチームが2つしかなかったということもあり、

鈴木さんがキャプテンになって以降、勝ち続けていて、

アメフトが少しつまらなくなってきていたそうです。

 

そんな時、アメリカにプロリーグが設立されるという知らせが入ったそうです。

これはもう運命だったとしか思えません。

というのは、2日後までに日本を発たないと

唯一残されたアメリカのトライアウトに間に合わない状況だったそうです。

急遽の休みにもかかわらず、許可を得て、アメリカに発たれました。

「飛行機 アメリカへ」の画像検索結果

結果は、見事合格。

「日本人初の快挙!」ということで、帰国時の空港には、時事通信の記者が来ていて、

彼が発信したニュースの影響で、その後たくさんの取材が入ったそうです。

成り行き・勢いで受けた入団テストだったのですが、

「実は本当に行くかは決めてない」などと言えない状況に追い込まれ・・・

とりあえず半年間の休暇のつもりで、腹を括ってアメリカへ渡られました。

「東京 レディコング アメフト」の画像検索結果

アメリカでの初戦から鈴木さんは大活躍をし、

その年、すぐにオールスター選手に選出されるほどの腕だったそうです。

 

なぜ日本に戻らずにアメリカでアメフト選手を続けていこうと思ったのか?

アメリカに渡って1年目の全スケジュールが終了し、オールスター戦の時のことです。

試合後に自分を待つスカウトの列ができていたことを目の当たりにした鈴木さんは、

その時初めて、アメリカでアメフト選手として認められたのだと実感できたそうです。

このことは、アメリカでやっていこうと決めた理由の一つだそうです。

「アメリカ 女子 アメフト 観客」の画像検索結果

また、日本でアメフトをしていたころは、試合には観客が少なく、

友人を呼んでも付き合いでしか来てもらえない試合が多々あったそうです。

しかし、アメリカは違っていました。

自分のパフォーマンスがよければ、何もしなくても人が集まる!という

アメリカの環境が天国のように居心地が良かったそうです。

このことも、アメリカでアメフトを続けようと決めた理由だったそうです。

 

アメフト選手兼オーナーになって苦労は?

アメフトのプロ選手としては、大きな怪我もなく、

選手生命としては難なくやってこられました。

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しかし、選手兼チーム・オーナーに就任してからは苦労の連続だそうです。

オーナーとはいえ、雑用係で何でもこなすそうです。

チームグッズのデザイン、パンフレット作り、練習以外のオフでの企画、

例えばBBQなども企画するそうです。

選手もしており忙しいのですが、チームにいる良い選手を手放さないために、

何をすれば選手たちが喜ぶか、どう改善すればいいかなどを

常に考えて行動しているため、仕事は増え続けています。

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オーナーとして一番の課題は、強いチームを作ること

強いチームは、

ファンがつく →

お金が集まる →

そのお金をチーム・選手にあてがうことができる →

強い選手の確保 →

さらにチームは強くなる!

ということだそうです。

実は、オーナーになりたての頃、鈴木さんの決定に賛同できない選手に去られ、

酷いこともされた経験があるそうです。

しかし、「日本人だから」という壁を作っていたのは自分だと気付いた鈴木さん。

態度を変えず、自分の信じることを貫き、話し合いを何度も重ねることで

選手とすこしずつ分かり合えたそうです。

「Betty Hiroko Suzuki | Pacific Warriors」の画像検索結果

わからないから聞き、恥ずかしがらずに聞けたから成長した

オーナーになり、

「当たり前だと思って聞くことをしない人は成長しない」、

「固定概念から始めると前に進めない」ということが目の当たりにしたそうです。

鈴木さんは、オーナーだからと言って肩ひじ張らず、

「これを聞くなら、この人」と決め、

何でも相談し、恥ずかしがらずに聞くことができたそうです。

 

スポーツ・アメフトを通して恩返しを

いつか、スポーツにお返しがしたい、

アメリカで得たものを日本にお返ししたいと思われています。

「アメリカ 女子 アメフト 観客」の画像検索結果

というのは、アメリカに比べて日本のスポーツ栄養学、スポーツリハビリなどは、

10年以上遅れているといわれており、

今後は、鈴木さん自身がアメリカで学んだことを次世代の選手たちに教えることで・・・

お返しをしていきたいと考えられています。

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最後に

いかがでしょうか。

 

知識、理解、経験、体力など、様々な要素が必要なアメフトは、鈴木さん曰く、

追求しがいのあるスポーツだそうです。

とはいえ、テレビや競技場で実際に見るアメフト選手たちは、

身体能力が高く、そんなことができるの?!と心の中で叫ぶことも。

そのアメフトの第一線を、プロ選手兼オーナーとして活躍されている鈴木さんは、

どれほどすごいのか・・・私の頭ではついていけないようです。

「アメリカ 女子 アメフト 観客」の画像検索結果

習い事がしたい、達成感が欲しいと思って偶然にアメフトに出会って20年以上。

鈴木さんが今後も選手として、オーナーとして、そして次世代を育む指導者として

益々ご活躍されることを心から祈っています。

 

長文を読んでいただき、ありがとうございました。

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