テレビ番組、「たけしのニッポンのミカタ!」
(毎週金曜日21時54分~22時54分)で、
2018年10月19日に
【とびきりの穴場を発見!あなたの知らない東京】
の放送があります。
「『品川ナンバー』が走る!絶海の孤島・青ヶ島」
という文言があり、
えっ?と思いました。
私が若い頃・・・
品川ナンバーを持つ車は、
「都会に住む人=ステータスがある」ということで、
憧れの的!だったのです。
今はそんなに車のナンバーにこだわる人は・・・
少なくなってきてはいると思いますが、
「なぜ東京からかなり離れた青ヶ島に品川ナンバーの車が走っているの?」
と疑問にもち、理由を調べたので、紹介したいと思います。
是非最後まで読んでいただければ幸いです。
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まず、青ヶ島はどこにある?
東京から358km、南に位置する絶海の孤島「青ヶ島」。
伊豆諸島にある火山島で、周囲は約9km、東京都の村の一つです。
青ヶ島は、東京都でありながら、人口は約200人。
日本一人口の少ない村でもあります。
実は、青ヶ島には、「○○町○○番地」という細かい住所がなく、
島内全域において、住所は
「〒100-1701 東京都青ヶ島村無番地」なのだそうです。
商業施設施設など目立った建物はなく、
静かでのどかな自然が広がっている島です。
番地がなくても成り立つのは、おそらく皆がお互いをよく知っているので
いらないのでしょうね。
伊豆諸島は、なぜ「東京都」管轄なのか?
これは、歴史が関係しています。
伊豆諸島は、昔は伊豆半島(静岡県)と同じ「伊豆国」に属していました。
江戸時代は、徳川幕府の直轄領(天領)で、
明治維新後、伊豆半島等の旧幕府領と一緒に「韮山県」の一部になります。
1871年(明治4)に現在の神奈川県西部・静岡県伊豆半島を管轄する「足柄県」に属し、
1876年(明治9)足柄県は東部が神奈川県に、西部が静岡県に分割統合され消滅し、
伊豆諸島は、同じ「伊豆国」である伊豆半島とともに静岡県の一部となりました。
しかし、わずか2年後の1878年(明治11)に内務卿・大久保利通の裁決で
伊豆諸島は東京府(東京都の前身)に移管され、現在に至る・・・
というわけなのです。
なぜ、1878年に東京府に急に移管されたのか?という疑問がわきますが、
きっかけは、色々あったようです。
1つ目は、伊豆諸島の裁判事務が東京裁判所に帰属することになったため
2つ目は、伊豆諸島は東京に物流・農産物など強く依存する状態であったため
3つ目は、島民や商人から、静岡県から東京府への管轄移管を求める嘆願書が政府に提出されたため
4つ目は、財政力があった東京府の管轄であれば島の経済負担に対応できるため
5つ目は、静岡県はコスト負担が大きい伊豆諸島の帰属を望んでいなかったため
6つ目は、1876年(明治9)に小笠原諸島が日本の領土として国際的に承認されたため
などが、「きっかけ」だったといわれています。
日本の領土として国際的に承認された小笠原諸島は、
本土からは八丈島や青ヶ島よりさらに2~3倍の離れた位置にあります。
本土として扱うためには、離島管理に消極的な静岡県に押しつけるわけにはいかず、
小笠原諸島を中央政府の影響が強い東京府の管理下におくことが決まったため、
本土と小笠原の途中にある伊豆諸島も必然的に・・・
東京府に移管して、離島管理を東京府に「一元化」した!そうです。
こうして伊豆諸島は1878年に、
小笠原諸島は少し遅れて1880年にそれぞれ東京府の所管になり、
現在の東京都に引き継がれています。
青ヶ島で品川ナンバーの車が走るのはなぜか?
青ヶ島は、品川陸運局(東京運輸支局)の管轄になるため、
「品川ナンバー」の車・バイクが島内を行き来しています。
- 普通自動車・排気量126cc以上のバイクの手続きは、名義変更や住所変更をする場合、品川陸運局(東京運輸支局)が窓口となります。
- 運転免許証の更新や記載事項変更の手続きは、運転免許試験場、免許センターなどでも行っています。
- 軽自動車の手続きは、品川軽自動車検査協会(軽自動車検査協会東京主管事務所)が窓口となります。
- 原付バイクの手続きは、青ヶ島村役場が窓口となります。
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最後に
いかがでしょうか。
絶景の島、伊豆諸島の青ヶ島がなぜ東京都に属するのか、
島内でなぜ品川ナンバーの車が走っているのか・・・という疑問が晴れました。
しかし、理由がわかっていても、島の中で品川ナンバーが走っていると・・・
おそらく「品川ナンバーだぁ~!」「違和感!」
などがフツフツ湧き上がってくるような気がします。
是非機会があれば・・・本当に品川ナンバーの車ばかりなのかを確かめに!
青ヶ島を訪れてみるのも、楽しみの一つになるのかもしれませんね。
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