日本薬学の父、長井長義とドイツ・テレーゼ夫人!国際恋愛・結婚、女子教育

あるきっかけで知った先人『日本薬学の父』長井長義 博士。

「長井長義」の画像検索結果

明治時代に海外に渡って化学を学び、

日本に新たな「薬学」を根付かせた、長井長義博士。

ドイツ人の方と国際結婚をし、国際恋愛・結婚の先駆者?!でもあり、かつ、

女子教育の発展に、化学の世界よりアプローチ・尽力した!と言われています。

 

かなり気になり、調べてみましたので・・・紹介したいと思います。

是非最後まで読んでいただければ幸いです。

Sponsored Link

まずは、日本薬学の父、長井長義さんとは?

1845年徳島県生まれの長井さん。

奥様は、ドイツ人テレーゼさんで、お子様は3人、

長男・亜歴山(アレキサンダー)さん、長女・エルザさん、次男・維理(ウィリー)さん

「長井長義」の画像検索結果

 

代々医者の家系で、当時鎖国中であった時代。

1866年徳島藩主の命にて長崎留学、

1871年日本政府第一回国費留学生としてドイツ・ベルリン大学留学、

帰国後、東京帝国大学(現東京大学)教授、

半官半民の大日本製薬合資会社(現・大日本住友製薬㈱)の製薬長

1887年に東京薬学会の初代会頭に就任されました

 

明治時代における日本の化学、薬学の指導と発展に尽力しました。 

日本の近代薬学の開祖で、日本薬学の父と呼ばれています。

 

国際恋愛・国際結婚の先駆者・・・実はホフマン教授が仕組んだ意図があった?

それは、ドイツ留学中のこと。

長井さんの真摯な態度、研究熱心さなどからホフマン教授助手に選ばれました。

功績を認められ、ベルリン大学より

ドクトル・デア・フィロゾフィー Doktor der Philosophie 学位(Ph.D.に相当)を

授与されたほど、実績を積みました。

 

そんな長井さんの姿を身近で見ていたホフマン教授は、長井さんをベルリン大学に、

自分の元に留めておきたいと熱望したそうです。

 

しかし、長井さんは、日本から派遣された国費留学生。

教授助手に任命しましたが、それだけではいずれ日本に戻ってしまうと考えました。

 

そこで、ホフマン教授が考えた作戦が・・・「ドイツ人女性と結婚させること」!

 

長井さんへ、ドイツ人女性の魅力を語り、恋愛・結婚を勧めたそうです。

また、長井さんの下宿先であった、ラーガシュトレーム夫人に内緒で相談し、

ドイツ人女性の仲介を依頼!していたそうです。

 

こういった根回しのおかげ?!で・・・運命の出会いがありました。

ギーセン大学で行われた、ホフマン教授の師匠リービッヒの銅像除幕式の帰路のこと。

フランクフルトで宿泊したホテルのレストランで

隣り合わせで座った時に横にいた女性・・・

テレーゼ・シューマッハさんと出会い、恋に落ちたのです・・・

 

1887年、日本で働いていた長井さんはついに・・・ドイツに戻り、

テレーゼさんの故郷アンダーナッハで結婚式を挙げました!

「 テレーゼ 日本女子大学」の画像検索結果

ドイツ人の妻・テレーゼさんとめざした、女子教育の向上とは?

ドイツ留学時代の体験がきっかけになったようです。

それは・・・

ベルリン大学などで女子学生や女子助手などの活躍を目の当たりにしてきたこと。

このことが「日本においても女子教育が必須」という信念に結びつき、

自身の化学・薬学の研究だけでなく、

テレーゼ夫人と共に女子教育にも力を入れられました。

 

日本女子大学、雙葉会・雙葉学園への設立協力・化学教育の推進など、

数々の女子教育活動、地位向上に尽力しました。

 

また、奥様のテレーゼ夫人も努力されました。

結婚後、日本に移住したテレーゼ夫人は、

日本女子大学と雙葉学園で教鞭を執り、ドイツ語を教えたそうです。

また、日本女子大学の家政科では、

食材の栄養価やドイツ料理・風習を交えて教えるなど、

長井と共に早期の女子教育に資したといわれています。

「長井長義」の画像検索結果

1922年(大正11年)に日本を訪れた、

アルベルト・アインシュタインとエルザ夫人のドイツ語通訳も務めらました!

 

現在の女子の活躍の場が広がったのは、

長井さん夫妻の女子教育の向上に対する熱い思いから・・・

と言っても過言ではないのです!

Sponsored Link

最後に

いかがでしょうか。

 

日本薬学の父、長井長義さんとテレーザ夫人。

江戸~明治時代という、怒涛の幕末の時代を生き抜き、

世界で研究されていた化学・薬化学を日本に持ち帰り発展に尽力されました。

 

長井博士のことを調べるに当たり、

医療界、薬学界に大きく貢献されたことはもちろんのこと、

女子の地位向上、学ぶ機会を作り、

次々と大学が女子に門戸を開く「意識改革」作りをしていったこの功績は、

感謝でいっぱいです。

 

ホフマン教授の計らい?により、出会うべきしてであったテレーゼ夫人との

国際恋愛、国際結婚も・・・

今よりもっと、抵抗・反対・葛藤・不安などあったかと思います。

 

お二人の功績、日本・世界への影響に感謝し、

今回のことは、今の自分を見つめる良い機会になりました。

関連画像

今回は、日本薬学の父と呼ばれる長井長義博士とドイツ・テレーゼ夫人の

国際恋愛・結婚、女子教育について紹介しました。

 

こちらの記事では、

 ⇒ 日本薬学の父、長井長義博士!薬化学発展へ尽力先駆者!エフェドリン発見

 

参考になる部分も多いと思うので、ぜひ一度目を通していただけると幸いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です