「世界一受けたい授業」(毎週土曜日19時56分~20時54分)、
10月13日の放送で
「日本初のフリー外科医リアルドクターXの神業に密着!
世界トップレベルの手術法!腫瘍だけを取り除く技術とは?」
という特集があります。
そのフリー外科医リアルドクターXとは、
内視鏡外科医、メディカルトピア草加病院の院長である
「金平 永二 先生」のことだそうです。
気になったので、調べてみると熱い思い、情熱を持ったドクターのようです。
というのは、「お医者さま!」ということで
順風満帆な経歴、すべてを手に入れてきたのか・・・?と勝手に思いましたが、
現在に至るまでに数々の修羅場、困難、危機を乗り越えてきた不屈の方!と
感じました。
そこで今回は、金平 永二さんについて、紹介したいと思います。
是非最後まで読んでいただければ幸いです。
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外科医、金平 永二さんのプロフィールとは?
名前は金平永二(カネヒラ エイジ)さん
1960年4月12日生まれ
京都府出身
最終学歴は、金沢大学医学部卒業
性格は、穏やかでいつもニコニコしている優しい方だそうです。
趣味は、スノーボード、パラグライダー、インラインスケート、アイススケート、テニスなどアクティブなスポーツだそうです。
また、語学も堪能で、英語・ドイツ語・イタリア語・中国語を使われるマルチリンガル!です。
職業は、内視鏡外科医、内視鏡外科手術のパイオニア・技術職人。メディカルトピア草加病院 病院長・外来診療顧問
信念は、「医療の技術は愛情を伴って初めて真の力を発揮する」
ご家族は、奥様がいらっしゃいますが、お子様に関する情報は不明です。
高校生の時、山で動・植物や昆虫を撮影する「カメラマン」を夢見ていたそうです。
しかし、将来のことを不安に感じた家族や周囲の反対により、進路変更を余儀なくされます。
同じ自然・生命の神秘ということから、金沢大学の医学部を選び、入学されました。
因みに、金平さんの半生は、漫画化されています!
平成のブラックジャック、金平 永二さんの経歴は?
1985年に金沢大学付属病院第一外科に研修医として勤務をはじめます。
というのは、幼少期に呼んだ小説「白い巨塔」、漫画の「ブラックジャック」への憧れから、
心臓外科医を目指していたそうです。
しかし、その研修医時代に転機が訪れます。
麻酔医として駆り出された他外科の手術の時です。
その日、金平さんは胃の摘出手術に麻酔医として携わりました。
その際、患者さまの回復した臓器を身近で見て、
「小宇宙のように見えた」そうです。
その経験がきっかけとなり、周囲の反対を押し切り、
最終的に心臓外科から消化器科に転科しました!!
消化器科に移動して、貪欲に知識・経験を積んでいった金平さんですが、
1991~1992年、ドイツの「テュービンゲン大学」の
ゲルハルト・ブエス教授から内視鏡手術について学びます。
このブエス教授は、内視鏡手術においては、
世界的な権威!と言われ、その方から直接技術を学びました。
内視鏡は、「体にやさしい手術」と言われ、
その技術をマスターし、日本に戻ります。
ドイツ留学を終えて、
金沢大学医学部附属病院心肺・総合外科講師として戻りますが、
当時、内視鏡という最先端の医療技術の理解はわずか。
そのため、内視鏡技術の日本国内での普及を目指して活動を始ました。
2002年「ELK;Endosurgery Laboratory Kanehira金平内視鏡外科研究所」を設立。
フリーランス外科医として活動を始めます。
ELKは、エルクと呼び、
「小さな傷で手術する内視鏡外科医のネットワーク・ラボ」だそうです。
ホームページ作成から始まり、自分を売り込みながら、内視鏡普及に努めました。
インターネットを使った手術の受付を始め、
全国60か所以上、シンガポール、ニュージーランド、香港、台湾、韓国で
執刀し、腕を磨いてきました。
その甲斐あって、周囲からの信頼を得て、
胆のう、胃、大腸、膵、脾など幅広い消化器疾患の内視鏡外科手術を
2000例以上執刀してきたそうです。
特に、直腸腫瘍に対する
経肛門的内視鏡下マイクロサージェリー
(TEM:狭い空間でスティックさばきを必要とする手術)と
胃粘膜下腫瘍手術における、
世界トップクラスのエキスパートとして活躍されています。
また、内視鏡外科道場「Amesa;アミーサ」を主宰し、若手医師を育てられています。
2011年、日本における内視鏡外科の発展への貢献の高さが評価され、
日本内視鏡外科学会の最高賞である
「大上賞」を受賞されました。
内視鏡手術普及のための壁、浮き上がった問題は?
最初の問題は、「保険」
ドイツから戻ってきた1992年当時は、
内視鏡手術は保険の適用外のため、とても高額でした。
保険適用を認めるよう働きかけますが、
逆に・・・厚生省は、すでに行っていた内視鏡手術の保険適用を認めず、
保険料を返還させたのです!
多額のペナルティーをもらった内視鏡外科医たち。
もちろん、金平さんも例外ではありませんでした。
次の問題は、「所属組織」
当時の消化器外科の教授もカンカン!
教授に「病院で内視鏡手術をするのは一切禁止!」と言われたそうです。
言われても引き下がらなかった金平さん。
教授の目をごまかし、患者に内視鏡手術を施す内に、
口コミで内視鏡手術が広がっていきました。
また、別の病院に行き、
内緒で内視鏡外科手術を実施して認知・普及につとめたそうです。
さらに、大学病院という組織に所属している医者であれば行動制限があるため・・・
日本初のフリーランス外科医になることを決意しました。
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最後に
いかがでしょうか。
内視鏡事業で世界シェア7割のオリンパスの活躍も、
金平さんと協力したから・・・!と言っても過言ではないそうです。
体に優しい手術といわれる内視鏡手術。
このように患者さんにとって負担の少ない手術もあり、
その腕、成功率をあげ、皆にとって最善とは何か?
を常に考えているお医者様がいると知りました。
ただ一番の問題は、体に優しいからと言って、内視鏡手術を選んだことが・・・
命取りになる可能性もあることを理解しなければならないことです。
自分の病気を早期に発見しても、
適切なタイミングで処置・治療を行っていなければ、行く行くは・・・
という残念な結果になることもあります。
そのような残念なことにならないためにも、
信頼できるお医者様に出会い、よく話をし、セカンドオピニオンなどを利用。
自分の場合・状況をより正確につかんでおく必要があると思います。
今後も、金平先生のご活躍を応援すると共に、
その内視鏡普及、技術力を向上したお医者様が増え、
私たちの生活を身近で支えていただけることを願っています。
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