こんにちは。
先月4月27日に、自宅療養中に認知症にて亡くなった、女優・歌手・日本舞踊家の
朝丘雪路さんの性格について・・・!
とても多くの興味深い逸話が言われています。
今回は、その面白い話について、まとめていきたいと思います。
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まず、朝丘雪路さんとは?
東京都出身、夫は俳優の津川雅彦さん、娘で女優の真由子さんです。
本名は加藤雪会;かとう・ゆきえさんといいます。
一度離婚歴がありますが、津川さんとは「おしどり夫婦」で有名でした。
宝塚音楽学校卒業後、1952年に宝塚歌劇団・月組に入団し娘役で活躍されました。
1955年に退団し、女優・歌手、また日本舞踊家として多方面で活躍されました。
2014年4月、夫で俳優の津川雅彦さんと共に、
娘で女優の真由子さんがプロデュースした
時代劇ミュージカル「花や…蝶や…」に家族共演され、
その後、病気を理由に芸能活動を休止して自宅で
献身的な介護を受け、療養していました。
朝岡雪路さんの性格は?
近親者ではないので、本当!?と言い切れませんが、
彼女はとても素直な方だと思います。
というのは・・・
父、小林深水の常軌を逸した溺愛を一身に受けて成長した・・・ため、
「世間知らずのお嬢様」「一般常識が分からない」と言われるほどです。
浮世離れしたことで有名です。
私たちが言う、「一般常識」という生活に必要なことは、
ほぼ全て家政婦さんや他のサポートスタッフがしてしまっていた・・・
ことが原因で、彼女はその一般常識を学ぶ機会がなかったのだと思います。
しかし、その「常識がずれている」ことが一般的に知られ、有名になったことで、
テレビ番組の司会者や共演者がその性格を上手にいじることで、
彼女はお茶の間で有名・愛されキャラになったような気がします。
また、おっとりした性格、人を疑わなかったことで、
かえって妬みの対象になったこともあったかと思います。
ただ、本人にとっては普通のことをしたつもり、
他人が彼女にした最大のサポート彼女にとっては自然な普通のこと・・・ということで
常識のずれがもたらしたのでしょう。
胸が大きいことでも有名でした。
タモリさんが司会をする番組で朝岡さんと共演された際、
そのことをいじるタモリさんと朝岡さんの掛け合いが、
楽しかったことを記憶しています。
1960年代に流行したテレビ番組「11PM」という少し大人の番組で、
司会の大橋巨泉さんが胸の大きな朝丘さんを「ボイン」と呼び、
これが当時の流行語にもなったほどです。
朝丘雪路さんの有名な逸話とは?
公共の交通機関に乗れない・道がわからない
小さなころより、どこに行くにも養育係の方と一緒だったということが裏目に。
そのため、お金というものがわからず、使えない・・・
また養育係の言うとおりに道を進むため
どこに何があるかなど記憶することが難しい・・・
状況だったようです。
確かに私たちも小さなころ、大人がすることを見て学び、自分も試してみたことです。
ただし、彼女の場合、過保護すぎる父親のことを疑わなかったため、
父親の言いつけを守りそのまま大人になってしまった結果だと思います。
知らないことは悪いのではなく、学ぶチャンスがなかったのですね。
低血圧過ぎて気絶騒ぎ
低血圧で有名でもありました。特に血圧が下がるのは朝。
そのため、ホテルの部屋でモーニングコールが鳴ると、驚いて起きますが・・・
朝の低血圧のため、ビックリしすぎて、そのまま気絶!
そして起きてこないため部屋を訪れた人に、部屋で倒れているところを発見される!
という騒ぎが多々あったそうです。
私も低血圧のため、すぐに飛び起きずに徐々に起きるようにしています。
ただ、気絶をしたことはありません・・・よっぽどびっくりしたのでしょうね、毎回。
1万円札以外のお金がわからない
結婚するまで自分でお金を払って買い物をしたという経験が全くなく、
結婚してから買い物はすべて1万円札で支払っていたそうです。
そのためお釣りの千円札や硬貨をどうすればよいの・・・わからず、引出しに貯めていたのでしょう。
ある日、夫の津川さんが薬を探して引き出しをあけてみると・・・
そこには小銭の山が!!発見して仰天したそうです。
朝丘さんにとって、それら硬貨や千円・5千円札が同じお金とは知らなかったとか・・・
家事ができず、主婦が欲しいと言い切る
家事の一切が苦手であったそうです。
確かに小さなころから身の回りのお世話は養育係がしていたのですから、
想像はつきます。
そのため、料理は「火が怖い」、洗濯は「洗濯機が使えない」、
掃除は「掃除機の使用方法が分からない」・・・
娘さんが小さいとオムツを使用しますが、
交換はいつも他の方が代行していたそうです。
旦那さんが思わず「我が家には主婦がいないんだねぇ~」と呟いた時のこと。
それを聞いた朝丘さんは「私も家事の出来る奥さんが欲しいわ~」と
あっさり言った!という逸話も有名ですね。
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最後に
根っからのお嬢様に身近であったことがないため、本当?!と驚くことが多数です。
でも、本人にとってはそれが常識。
その常識のためにおそらく違った意味で、苦労されたことだと思います。
最後までご主人、家族の支えで病気と闘い続けた朝丘雪路さん。
彼女のご冥福を心よりお祈りいたします。
今回の記事は朝丘雪持参の性格と逸話でしたが、
こちらの記事では朝丘雪路さんについて紹介しています。
参考になる部分も多いと思うので、ぜひ一度目を通していただけると幸いです。
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