菊野昌宏(独立時計師・和職人)プロフィール!AHCI正会員・不定時法[情熱大陸]

テレビ番組「情熱大陸」(毎週日曜日23時00分~23時30分)で

2019年1月27日に

【菊野昌宏/1本1800万円の時計を作る職人!日本人初「独立時計師」】

という放送があります。

 

1本1800万円の時計?!

独立時計師ってどんな職業?

と気になり調べましたので紹介したいと思います。

是非最後まで読んでいただければ幸いです。

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独立時計師、菊野さんのプロフィール・経歴は?

<プロフィール>

名前は、菊野昌宏(きくの まさひろ)さん

1983年2月8日生まれ

北海道深川市出身

奥様がいらっしゃいます。

現在、千葉県船橋市在住し、自宅に工房を構えられ、

独立時計師として活躍されています。

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<経歴>

高校卒業後、自衛隊へ入隊。機械整備の職務を担い、独立時計職人を目指すため除隊。

2008年  ヒコ・みづのジュエリーカレッジ卒業

2010年  自動割駒式和時計を完成

2010年  独立時計師フィリップ・デュフォー氏のアトリエを訪問

2011年  AHCI準会員となり、バーゼルワールドに初参加。自動割駒式和時計を出展しました。

2012年  学校の講師を辞めて独立し、バーゼルワールドにトゥールビヨン 2012出展。

2013年  バーゼルワールドにORIZURU出展。日本人として初めてAHCI正会員になります。

2015年  バーゼルワールドに和時計改暁鐘 出展。

 

もともと、幼少期より、手先が器用で工作が得意だったそうです。

自衛隊にて機械整備の職に就いている際に、メンテナンスではなく

「一からものづくりをしたい」という思いが強くなったそうです。

 

その時に偶然存在を知ったのが、「独立時計師」という仕事。

その存在に惹かれて一念発起し、

ヒコ・みづのジュエリーカレッジで時計の基礎を学ばれました。

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卒業後は、独学で機械式時計を作り始められた菊野さん。

「和」の要素も取り込んだ独創的なアイデアと精緻な時計作りが

本場スイスの独立時計師の目に止まり、認められて

30歳で時計の本場・スイスにある独立時計師アカデミーに日本人初の正会員として

迎え入れられました。

 

なぜ菊野さんは、独立時計師になろうと思ったのか?惹かれたきっかけは?

自衛隊でたまたま上官がつけていた機械式腕時計を目にした菊野さん。

そのことがきっかけとなり、時計への関心が芽生えたそうです。

 

その後、本屋で手に取った時計の雑誌にて、機械式時計の魅力をしりました。

電池や電気を使わずに「ぜんまい仕掛け」で動く、アナログの時計。

「masahiro kikuno watch Orizuru」の画像検索結果

また、スイスには独立時計師がおり、

個人で時計を作り、生計を立てていると紹介されていたそうです。

「時計は一人で作れるものだ」と知った瞬間、

菊野さんは、独立時計師を目指し動き出されました。

 

独立時計師とは?時計師と何が違うのか?

時計師といっても、働き方により違いがあるようです。

メーカーによる分業での生産が大半を占める時計業界に勤めるのが「時計師」さん。

そこには、時計にかかわる仕事をされている方たちが

多く存在し、活躍されています。

企業に勤める方たちは、仕事は分業制で、

仕事は、時計のパーツ製作、組み立て、電池交換、修理を仕事にしている方たちです。

「masahiro kikuno watch」の画像検索結果

もう一つは、「独立時計師」。

部品のねじの製作、デザイン、組み立てに至るまでの

ほぼすべての時計にかかわる仕事を個人でやってのける時計職人のことをといいます。

 

因みに、ヒコ・みづのジュエリーカレッジには、

ウォッチメーカーという、時計職人を育てる専門科があり、

そこでは、機械式時計の設計、製作、修理技術を行う技術者を

育てるコースを持つそうです。

「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」の画像検索結果

AHCIアカデミーに認められ、正会員になるとは?

アカデミーとは、独立時計師アカデミー(AHCI)のことを言います。

この組織は、独立時計師として世界中で活躍されている優れた方のみが

所属を許される独立時計師の集団です。

このAHCIに所属していることが条件で、日本国内では、

職業=独立時計師として胸を張って語れる、独立時計師さんだそうです。

「AHCI Academy」の画像検索結果

実はこのAHCI公認の独立時計師さんは世界に多く存在しません。

単に腕がよいだけではなることができず、

段階を踏んで正会員になる必要があります。

 

まず、正会員2名の推薦を受けて準会員になる必要があります。

その後、バーゼルワールドの時計の見本市に出展した機械式腕時計を

正会員が審査します。

この審査において、現正会員全員の賛成ではじめて、

正会員になることができるそうです。

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世界で活躍する独立時計師の方が全員で認めた菊野さんの作品は、

いかにオリジナル性にあふれ、精巧で凄いことかわかりますね。

 

菊野さんが作る時計とは?

30歳の時に最年少の職人として独立時計師の世界に迎え入れられた菊野さん。

枯山水や真鍮の折り鶴など日本的「和」にこだわったデザインと

精巧なメカニズムを奏で、組み上げられる時計を作られます。

「masahiro kikuno watch」の画像検索結果

菊野さんが作る機械式時計は、安いものでも1本500万円、

高いものだと1800万円という値が付く!そうです。

 

その理由は・・・

小さなネジ1つにしても指先の感覚を頼りに0.001ミリ単位で削って作るため

膨大な時間がかかること。

なんと、作成時間が膨大過ぎて、作ることができる機械式時計は、年間2本のみ!

そんな超高級腕時計にも関わらず、国内外からオーダーが舞い込みます。

 

不定時法腕時計(和時計)とは何?

2011年に菊野さんが開発・製作に成功した「不定時法腕時計(和時計)」は、

12の干支が書かれた駒(インデックス)が季節の変化に伴って自動的に移動する

自動割駒式和時計」です。

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不定時法とは、夜明けと日暮れ(昼)、および日暮れと夜明け(夜)までの間を6等分し、

それを一刻とする時刻の表示機構のことを指します。

日の出と日の入りの時刻が季節によって変化するため、

一刻の長さは日々、変化する複雑なものなのです。

 

この不定時法は、日本では江戸時代に存在していました。

その時代に日本で製作された和時計は、この不定時法に対応するため、

季節ごとに干支の間隔が異なる文字盤に交換したり、

移動式の駒を手動調整する機構などを開発していたそうです。

 

しかし、菊野さんが製作した「不定時法腕時計(和時計)」は、

かつての和時計を参考に、この機構を腕時計サイズにまで凝縮した世界初の腕時計で、

夏至では昼の駒の間隔が広がり、夜の駒の間隔が狭まること、

冬至では逆に、昼の駒の間隔が狭まり、夜の駒の間隔が広がること

が特徴です。

「masahiro kikuno watch Orizuru」の画像検索結果

また、この時計にはブルースチール仕上げされた不定時法針の他に、

通常の時分針も装備されているため、

定時法による正確な時刻も同時に読み取れるように配慮されている

こだわりがあります。

 

このことにより、菊野さんの時計は、2つの時を持つ独創的な時計だと

わかると思います。

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最後に

いかがでしょうか。

 

実は、菊野さんは昔、時計を作るためには、大掛かりな機械、多くの工具、

立派な設備、潤沢な資金が必要だと思っていたそうです。

「和時計 プロジェクト 解体」の画像検索結果

そんな時に偶然見た和時計の最高傑作、「万年時計」を

分解し調査するプロジェクトの番組。その中で紹介されていた

ねじ、歯車などの数々の時計のパーツが手作りでできるのだ!

と気づいたそうです。

中でも特に歯車は、時計を作り上げようとする時計師の強い意志と情熱が感じられ、

「意志と情熱があれば、部品は手作業で作れる。思いのこもった部品で時計が作れる」

と信じ、実践されているそうです。

 

日本、世界中に多くの職業、職人さんが存在します。

一つずつ、手作業で繰り返し試行錯誤を重ねていくこの独立時計師という職人技は、

相当な集中力、忍耐、独創性、精巧な作業など

気の遠くなるような仕事だと思いました。

この菊野さんの時計が、未来に受け継がれていくことでしょう。

独立時計師として、今後も活躍されることを応援したいと思いました。

 

今回は、独立時計師として大活躍されている菊野さんについて紹介しました。

こちらの記事では、万年時計を開発したからくり人形師について紹介しています。

 ⇒ 天才発明家、田中久重!からくり人形職人・万年時計・東芝の礎を築いた先駆者[知恵泉]

 

参考になる部分も多いと思うので、ぜひ一度目を通していただけると幸いです。

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